今の日本に足りないのは、「修身」つまり古来からの「日本の心」です。

親子で学びたい「日本の心」

家庭教育や子どもの家庭での躾けで困っていることを聞き、

 

ここに明治・大正・昭和と、

 

日本人の子供たちが教わった

 

「修身」という書物があります。

 

この書物には、

 

私たちが子供時代に親から教えられた

 

「日本の心」があります。

 

 

アメリカかぶれに成らずに、

 

本当の意味での日本の精神を

 

学んでいただきたいと思い、

 

修身だけでは足りない分を補い、

 

ここに一つの「家庭でのしつけ」として整理してみました。

 

 

これから「家庭のしつけ」や

 

子供の教育をお考えの方には、お役にたてると思います。

 

 

 

最初から、最後までじっくりと読み、

 

必要な本は、教科書と思ってお求めください。

 

 

サイトだけでは限られた情報しか届けられません。

 

 

この意味から、必要と思われる「本」を紹介しています。

 

 

そこから買っても、別の所からお求めになっても問題ありません。

 

 

目的は、あなたが正しい道徳を知り、

 

それをちゃんと自分に身につけて、

 

それをお子さんたちに教えて、立派な人になってもらうことです。

 

 

例え立派な人にならなくても、

 

しっかりと正しい人生を楽しく堂々と歩いていけると思います。

 

 

どうぞ、日本のお母さん!

 

 

ちゃらちゃらした外国のまねをしていないで

 

本当の意味で、日本の女性は世界最高なのです。

 

 

そのやまとなでしこの精神を知って、自分にもその血が流れていることを自覚して

 

立派な親になっていただきたいと思います。

 

 

多くの偉人は、母親の教育と感化が物凄いことも知ってください。

 

 

どうか本当の意味で「日本が平和になり、世界もその影響を来たす」ようにして

 

行くことができれば幸いです。

 

 

至らないものですが、自分が学んだことを惜しみなくお届けしようと思います。

 

 

 

親子で学びたいのは、この本です。

 

この本です。

 

 
 

幸せ住まいの情報館は

 

元々リフォームからスタートし、

 

新築住宅、

 

健康住宅

 

と進んできましたので、

 

建築サイトや健康サイトなども作っています。

 

 

私の心がけが悪いのか、

 

みなさんに健康になっていただく

 

情報を発信していますが、

 

思うように届かないのが残念です。

 

その原因の一つは、手作りかも知れません。

 

 

 

健康住宅は、一棟一棟手作りで仕上げますので、このようにしています。

 

建築関係は、こちらです。

 

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空気をキレイにする安全な健康住宅 空気をキレイにする安全な健康住宅 
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サイトは、建築の宣伝費を抑える為自分で作っています。

 

 

お金をかければいいサイトが出来ますが、その分お客さんに負担がかかります。

 

 

このため、お客さんに負担の掛る物は、徹底して排除し、

 

少しでもいい家に住んでいただきたいと努力しています。

 

 

目標は、「愛・感謝」の家です。

 

 

 

この結晶が証明してくれる家が私たちの目標です。

 

 

そのため、あらゆる角度から点検し、

 

本当に「日本人が住むにふさわしい」という家を目指しています。

 

 

みなさんも応援してくださいね。

 

 

続きを読む≫ 2014/09/28 07:21:28

ありがとうございます。

 

 

木下と申します。

 

 

私は、

 

子供のころから「心の不思議」に興味を持ち、

 

いろいろと突き止めようとしましたが、

 

答えが分からずこの年になってしまいました。

 

しかし、中村天風さんの本を読み、

 

その答えが書いてありましたが、

 

最終的には自分が悟る以外ないようです。

 

 

続きを読む≫ 2014/09/28 07:18:28

 

 

 

協 同 

   (第四期〈昭和九年?〉・巻三) 二十三

 

 

 

昔、毛利元就という人がありました。

 

 

元就には、隆元・元春・隆景という二人の子があって、

 

元春・隆景は、それぞれ別の家の名を名のることになりました。

 

 

元就は、二人の子が、先々はなればなれになりはせぬかと心配して、

 

いつも、三人が一つ心になって助け合うように。」

 

と戒めて居ましたが、

 

或る時、二人に一つの書き物を渡しました。

 

 

それには、

 

「二人とも、毛利の家を大切に思い、

 

互いに、少しでも隔てた心を持ってはならない。

 

 

 

隆元は、二人の弟を愛し、

 

元春・隆景は、よく兄に仕えよ。

 

そうして、二人が一つ心になって助け合え。」

 

と書いてありました。

 

 

 

また、元就は、隆元に別の書き物を渡しましたが、

 

それにも、

 

「あの書き物を守りとして、家の栄を図るようにせよ。」

 

と、よく行き届いた戒めが書いてありました。

 

 

 

書き物をもらった兄弟は、

 

二人の名を書きならべた請書を、父に差し出し、

 

「二人は、心を合わせて御戒めを守ります。」

 

と、固く誓いました。

 

 

其の後、元就の後を継いだ隆元は、早く死んで、

 

其の子の輝元が家を接ぎました。

 

 

 

元春・隆景は、よく元就の戒めを守って

 

輝元を助けましたので、毛利の家は長く栄えました。

 

 

続きを読む≫ 2014/09/27 15:52:27

朋 友      (第四期〈昭和九年?〉・巻五)第十六

 

 

新井白石は、

 

九歳の時から日課を立てて、少しの暇も無駄にせず、

 

一生けんめいに学業に励みました。

 

 

後、木下順庵という名高い学者の弟子となって、

 

貧苦をこらえて益々勉強したので、日に日に学問が深くなりました。

 

 

順庵は、自石を見込んで、自分の昔仕えていた加賀の藩主に推薦することにしました。

 

加賀は百万石の大藩で、藩主も評判の高い優れた人でした。

 

 

其の頃、順庵の弟子に岡島石梁という者がありました。

 

其の事を聞いて、白石に向かい、

 

「加賀は自分の郷里で、家には年寄った母がただ一人、自分の帰る日を待ち暮らしている。

 

此の頃来た手紙で見ると、大そう老い衰えたようで、心細いことばかり書いている。

 

もし先生のお執り成しで、自分が加賀の殿様に仕えることが出来たら、母もどんなに喜ぶか知れない。」

 

と言いました。

 

 

 

白石は、それを聞くと、

 

直ぐに順庵の所へ行き、其の訳を話して、

 

「私はどこでもよろしゅうございます。

 

加賀へは、どうか岡島を御推薦下さい。」

 

と願いました。

 

 

 

順庵は、白石が友情に厚いのに感心して、其の通りにしました。

 

 

そこで石梁は、喜んで、故郷に錦を飾る事になりました。

 

 

 

翌年、甲斐の藩主から、順庵の一の弟子を召し抱えたいと申し込んで来たので、

 

白石は、順庵の推薦によって、甲斐の藩主に仕える事になりました。  

 

 

 

 

 

続きを読む≫ 2014/09/27 14:06:27

父と子       (第五期昭和十六年〜 ・初等科修身四 四

 

 

幕末のこと。

 

杉百合之助の家では、春秋の二回、日を決めて、

 

藩公毛利氏の先祖を祭ってある社と、

 

氏神様にお参りする習わしであった。

 

 

そうでなくても、百合之助は、毎朝家の誰よりも早く起き、

 

清水を汲んで先祖の御霊に供え、

 

西の方藩公のおられる萩城を拝し、

 

東に向かって、恭しく皇室の御栄を祈ることにしていた。

 

 

 

ある年のその日の朝、あたりはまだ暗く静まり返っていたいた。

 

「梅太郎も、大次郎も、目が覚めたか。」

 

声をかけると、どちらが先ともなしに、兄弟二人がすぐに答えた。

 

「はい、とっくに起きております。」

 

「では、庭におりなさい。」

 

春まだ浅く、肌にせまる暁の闇の冷たさ。

 

足元に崩れる霜柱の色は見えぬが、地は堅く凍っている。

 

 

百合之助は、二人の男の子を連れて井戸端へ出た。

 

 

「いつもいうように、身体を洗い、心を清めるのだ。

 

まず、私が先にやる。」

 

くるくると着物を脱ぐと、つるべを取り、水を汲み上げて、

 

冷たさをも厭わず、ざぶりと頭から浴びた。

 

 

「清々しい気持だ。今度は、梅太郎、なさい。」

 

「はい。」

 

まだ明けやらぬ薄明かりの中に、

 

汲み上げられる水は、氷のように自く光る。し

 

かし、梅太郎は元気よくかぶった。

 

「さあ、次は大次郎。」

 

「はい。」

 

満々と水を汲み入れたつるべは、

 

幼い大次郎の腕には、かなりに重かったが、

 

それでも大次郎は、ゆっくりとあわてずに、

 

ざぶりざぶりと上手に浴びた。

 

 

家の中では、垢のつかない、さっぱりした着物を取り揃えて、

 

母が静かに待っていた。

 

 

「では、出掛けるぞ。途中で人に会(おう)ても、言葉を交わしてならない。」

 

父百合之助の声は、いつもとは違って、厳しさを含んでいた。

 

この宮参りの朝だけは、心を汚す事のないよう、

 

家の外へ足を踏み出したら、決して人と口を聞かぬと

 

父と子は、兼ねて固く約束してあったのである。

 

 

この日、無事にお参りを済まして、家に帰ってからの事であった。

 

 

「梅太郎は、何を祈った。」・・・と、父が尋ねた。

 

「はい。皇室の御栄を祈り、殿様の御無事を願いました。」

 

「うむ。なるほど。では、大次郎は。」

 

「私も、第一に皇室の御栄を祈りました。

 

それから、自分が本当の日本国民になることをお誓い致しました。」

 

「本当の日本国民とは、どういうことか。」

 

「臣民としての道を守り、命を捧げて陛下の御ために尽くすのが、本当の日本国民だと、玉木の伯父様が教えてくださいま
した。」

 

 

「うむ。それを神様にお誓いしたのか。」

 

 

百合之助は、わが子ながら大次郎は、あっ晴れな魂の持主だと心密かに感じいった。

 

 

大次郎とは、誰であろう。

 

後に寅次郎と名を改め、おじ吉田大助の家を継いで、

 

吉田松陰先生と崇められるようになった、その人である。

 

続きを読む≫ 2014/09/27 13:38:27

兄 弟

   (第四期〈昭和九年? ・巻四)第五

 

登のうちには、登を頭に、たくさんの子供がありました。

 

うちが貧しい上に、父が病気になったので、

 

父母は、みんなの子供を養うことが出来ず、

 

仕方なく、弟や妹を早くから、

 

他所(よそ)へ、養子にやったり、奉公に出したりしました。

 

 

中でも、一番可哀そうであったのは、

 

やっと八歳ばかりになる次の弟が、お寺へやられた時でした。

 

雪の降る寒い日でしたが、

 

登は、小さい弟が父母の元を離れて、

 

よそへ連れて行かれるのが可哀そうでなりませんから、

 

遠い所まで送って行ってやりました。

 

 

別れる時、登は弟に向かって、

 

「病気をしないようにして、よくお寺の人の言う事を聞きなさい。」

 

と言って、涙を浮かべて別れを惜しみました。

 

 

 

弟は、知らない人に手を引かれ、

 

後を振り向き振り向き行きました。

 

 

登も、雪の中に立って、寒い風に吹かれながら、

 

弟の姿が見えなくなるまで、後を見送っていました。

 

 

登の目からは、熱い涙がとめどもなく流れました。

 

別れた時の弟の姿が、あんまり可哀そうであったので、

 

登は、いつまでも其の時のことを思い出して悲しみました。

 

続きを読む≫ 2014/09/27 13:31:27

 

 

 

きそくにしたがえ     (第二期〈明治四十三年〜 ・巻三第十

 

春日局は、ある夜遅く、お城に帰って来ました。

 

門が閉まっていたので、開けさせようとしましたら、

 

門番の役人が

 

「上役の許しがあるまでは、お通し申すことは出来ません。」

 

と言いました。

 

 

局は、

 

「それは最もな事。」と言って、

 

寒い夜風に吹かれながら、

 

門の開くまで外に待っていました。

 

 

続きを読む≫ 2014/09/27 13:18:27

 

 

 

めいしんをさけよ

  第一期〈明治三十七年?〉・尋常小学第四学年)第十五

 

臆病なサムライが、闇の晩に、寂しい道を通りました。

 

垣の上から、大頭の化け物が見えたので、

 

驚いて刀を抜いて、切りつけました。

 

 

翌日、行って見ますと、瓢箪が二つに切れていました。

 

 

あるところに、祈祷をするものがありました。

 

ある日、祈祷をして、

 

みきどっくりの中へ、御幣を差し込むと、

 

御幣が、動き出しました。

 

 

これは、「神が、御幣に、乗り移った印である。」と、

 

人々に告げていましたら、

 

風のために、みきどっくりが、倒れて

 

中から、ドジョウが、四五匹、踊り出ました。

 

世間で、言いふらす怪しい事は、

 

多くは、この類(たぐい)であります。

 

 

 

 

続きを読む≫ 2014/09/27 11:41:27

女子の務(つとめ)

   (第二期〈明治四十三年? ・巻五)第二十七課

 

三宅尚斎は

 

或る時、藩主の旨に逆らい、捕らわれの身となりたり。

 

 

尚斎、家を出(い)ずるにのぞみ、

 

其の妻に、母及び二人の子の事を頼み、

 

奉養の為にとて、金二十両を渡せり。

 

 

妻は留守を預りて

 

心細く暮せしが、

 

これより倹約を守りて

 

己が衣食を薄くし、

 

暇あれば、人の為に裁縫、洗濯をなし、

 

これによりて、よく姑に事(つか)え、又

 

其の子供を養育したり。

 

 

 

三年の後、

 

尚斎、赦されて家に帰れり。

 

此の時、

 

妻は、さきの二十両を出して返せしに、

 

尚斎、之(これ)を見て、大いに怒り、

 

 

「かくては、母の奉養を怠りしならん。」と云(い)う。

 

 

妻は、

 

静かに留守中の事を語りて、

 

「母君を養ひまいらせし費用は、我れ自ら、之を弁じたり。

 

此の金は、御身が帰り給(たま)う時の、用にあてんとて残し置きたるなり。」

 

と云いしかば、

 

尚斎は、深く妻の労を謝したり。

 

 

 

 

 

続きを読む≫ 2014/09/27 08:21:27

負けじだましい 

(第五期〈昭和十六年?〉・初等科修身一)十九

 

 

板垣退助は、小さい時から負けず嫌いでした。

 

 

 

相撲が好きで、仲よしの後藤象二郎と、よく相撲をとって遊びました。

 

象二郎が強いので、何度とってもかないません。

 

けれども、退助は、投げられても、倒されても、

 

起き上がると直ぐ、「もう一度やってくれ。」

 

と言って、飛び掛かって行きました。

 

 

退助があまり根気よいので、しまいには、象二郎の方で、

 

「わたしが負けた。私が負けた。」

 

と言って、退助の負けず嫌いなのに感心しました。

 

 

後藤新平は、

 

貧しい家に生まれたので、子供の頃は、いつも、

 

接ぎのあたった着物を着ていました。

 

けれども、新平は、平気で学校へ通いました。

 

 

夜は、眠くなるのを防ぐ為に、天井から縄を吊るして、

 

それで身体を縛って、勉強を続けました。

 

 

これには驚きました。
すごいことをして勉強したものです。
本当に負けじ魂というのはすごいと思います。

 

 

大山巌が、若い時のことでした。

 

イギリスの軍艦が、鹿児島へ攻め寄せて来たことがあります。

 

 

海と陸とで、激しく大砲を撃ち合いましたが、なかなか勝ち負けがつきません。

 

これを見た元気な巌は、いきなり着物を脱ぎ捨て、刀を背負って、

 

敵艦目がけて、勢よく泳いで行きました。

 

敵軍は、この勇ましい姿を見て、びっくりしました。

 

 

 

 

 

 

続きを読む≫ 2014/09/27 07:45:27

修身を学ぶには、心の持ち方が大切になります。

中村天風さんが教えてくださっている 「人生は心一つの置きどころ」ということです。 「人生は、心一つの置きどころ」 こちらにサイトを作っていますので、合わせて見てください。 そして素晴らしい家庭を作ってください。 家は、安全な空気が吸える「空気の上手い家」を建ててください。 これからの時代に必須条件の家です。 空気をキレイにする安全な健康住宅